「高血圧少年」【1】神戸の震災の後に仕事に行くべきだと、会社まで変わったのだけど、北海道で1本現場をやってくれないかと言われた。部長まで出てきてたのむと言われては断ることもできずに、承諾した。 これがサラリーマンの宿命かと思った。自分の希望だけ通るわけではないのだ。会社のことも考えなければならない。しかたない半年間の仕事らしいが、それを終わらせてから、神戸行の希望をもう一度言ってみようか。会社の意向も一度飲んだんだから、次は従業員の希望も叶えてくれるだろうと、甘い考えで北海道行を決めた。 仕事は、地盤改良の管理の仕事だった。まず、自社マシンを、釧路に運んで立ち上げに参加した。 その後、一人で霧多布という所の現場に配置された。実作業は、北九州から、専門業者が来てやることになった。 【2】 現場が順調に立ち上がって動き始めたころ、北九州から新しい人が来た。歳は18歳の新入社員で、たぷたぷ太った子だった。 今では、個人情報保護の観点から、健康診断書を現場事務所に出す義務はなくなったが、その当時は提出していた。 その子の診断書から血圧が180あるということがわかった。18歳で180の高血圧…その会社の常務も来ていたので「この人は現場に入れられないな」と言った。万が一、現場で倒れられたらたいへんなことになる。常務は、現場には出ないデータ管理要員だから、なんとか置いてくれないかと言ってきた。プレハブの事務所内作業だけならいいかと、作業所内勤務を許可した。 しかし、なにが原因で18歳で高血圧なんだろうと考えていた。まず太りすぎということもあるのだろうか。では、なんで太ってるのかという疑問もでてきた。 【3】 事務所で、高血圧少年と二人きりになった。 「なあ、血圧が高いのは精神的な影響もあるんじゃないか」 「はい、それもあるみたいです」 「夜、部屋にひとりでいるときに、『死にたい』なんて考えたことあるか?」 「正直に言って、そういうときもありました」 「死にたいって思ったのに、なんで今生きてるんだ?」 「そのう、自殺する勇気がなかったんだと思います」 「自殺する勇気がなかったから?じゃあ、俺が手伝ってやるか」 「手伝うって、自殺のですか?」 「そうだよ。2日ほど待ってくれるか。太いロープを調達してくるから」 「どういうことですか?」 「自殺を手伝ってやるってことだよ」 ふたりとも、静かな口調で話していた。 【4】 「どういうことですか?」 また同じ聞き方をしてきた。現実味を感じてないだろうか。 「椅子の上に立ってもらって、天井から吊るしたロープで首を縛って、あとは俺が椅子を蹴っ飛ばしてやる。じっとしてるだけで済むぞ」 「なんで、なんで」 イメージができたようだ。泣き顔になってきた。 「なんでって、自分で言ったんだろ。『死にたい』って。望みをかなえてやるよ」 「やめてください。お願いです」 彼は、涙と鼻水を流している。感受性が強いんだろうか。完全に本気にしている。 「おまえは、『やる』と『やらない』の反対のことを平気で言うつもりなのか。どっちか片方にしてくれないかな」 「やらないでください。お願いです」 【5】 「気が変わってきたのか。じゃあ、気が変わらないうちに実行したいんだけど、2日だけ待ってくれ。この辺りは田舎だから、ロープの調達に時間がかかりそうだから」 「やめましょう」 涙と鼻水を垂れ流して拭おうともせず、懇願してきた。 「だいじょうぶだよ。俺は自殺ほう助罪になるけど、人助けするんだから、刑務所に入ってくるのも苦にならないよ」 「やめましょうよぉ」 「…そう、何回もやめるっていうところ見ると、本当にやめるのか?」 「本当に、やめましょう」 「本当にやめるってことは、生きる覚悟があるってことでいいのか?」 「生きる覚悟ができました」 「それでいいか。今後軽々しく死ぬなんて考えると、俺みたいなのに殺されるぞ」 【6】 「わかりました。わかりましたからぁ」 高血圧少年は、顔をこちらにむけたまま泣いていた。 これ以上言ったら、ただのいじめだろう。改善していくか。 「生きる覚悟ができたら、それでいい。生きる覚悟を行動で示してみないか」 「…行動って…どんな」 「走れ」 「今ですか?」 「会社に戻ってから、毎日だ。毎日ジョギングするってこと」 「…走ったことがあまりないんで…」 「そうだろうな。無理はしなくていい。最初は短い距離でいいんだよ」 「…走れば…よくなるんですか」 「必ずよくなる。体も心も…」 「体も?」 「そう、体も痩せて血圧も安定してくる。」 【7】 「はい、やってみます」 「そう、やってみるでいいよ。走れば体が締まってくるし、気持ちも強くなるから」 「気持ちも強くなるんですか」 「うん、途中で休もうかなとか考えるから、絶対に。でもちょっとでも休まずに走り続けたら、さっき休もうと思ったのに走れたって自信になるから」 「途中で休んでもいいんですか?」 「どうしても辛かったら、休んでいいよ。無理はいけないね。自分の体と相談しながらやったほうがいい」 「やってみます」 彼は、地元に戻ってから、本当に走るだろうか。それと、走ることで、心と高血圧 がよくなるだろうか気になった。自分からとっさに言い出したことだけど、いい方向・結果になってくれればいいなと考えていた。たぶんうまくいくと楽観もしていたけど… 【8】 高血圧少年と話してる途中に 「走れ!走るんだ!」 と、大声で激しく言った記憶がある。自分としては、魂の声のつもりで言っていたけど、相手に伝わっただろうか。 『運動をしたほうがいいね』 などと、年寄臭い言い方をするよりはよかったと思っている。 18歳で血圧180というのを、俺がなんとかしてやるという気持ちもあった。その気持ちが伝わったのだろうと思っている。 しかし、自殺ほう助未遂を、本気で信じてくれたのは不思議だった。この人冗談で言ってるんだと思われても不思議ではない。それを信じるだけの、静かな迫力があったのだろうか、俺に。 しゃべり方は静かで、言うことはきついというのは、今も昔も変わっていない。歳をとってきて、きついことは少なくなったけど。 【9】 高血圧少年とは、ここで話したことを、お互いに誰にも話さないと約束した。 後日、現場に残っていたその会社の常務(33歳)に話しかけられた。 「あいつが走ってるんですよ。ヤマさんなにか言ったんですか?」 「たしかに『走れ』とは言った。それ以上は言えないよ」 「ええ、教えてくれないんですか。あいつ、俺にも『走りませんか』なんて言うんですよ」 「常務に走れって…それは…やらないだろ?」 「走らないですけど、ヤマさんになんて言われたのか…」 「まぁ、いいじゃない。それより、あいつの体の調子は大丈夫?」 「だいぶ、血圧もよくなったみたいです」 心身ともによくなったか。よかった。 (終) 《 現場監督時代目次へ 》 《 目次へ 》 《 HOME 》 ジャンル別一覧
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